釣り春秋20周年記念大会優勝

黒い船体が漆黒の闇を切り裂いて行く。
10月24日午前1時、ブラックカイザーの船室で高ぶる気持ちと鼓動を抑えきれない自分が居た。
釣り春秋20周年記念大会への参加。この話を聞いたのは9月中旬頃だった。
自分の所属する「三重離島会」会長の駒田さんから誘って頂いた。当初、自分は迷っていた。
家族の事、仕事の事、何より九州まで行かなくても、こっちで充分釣れるという気持ちがあった。しかし、以外と早く決心出来た。
駒田会長の一言である。
「確かにお前はこっちで釣っとる。
それが本物やと思たら本場の九州で試してみたらどうや。」奮い立った。
石鯛が大好きで皆、血眼で石鯛を追いかけている。
若さ故、体力にものを言わせ常連客を押しのけて一級磯を取りに行く連中ばかりだ。
三重には伝説的なクラブがあり、カリスマ的な底物師が居る。
三重離島会であり、駒田会長がその人だ。とても敷居が高いクラブで怖い人だと思っていた。
憧れであり、いつか入れたらと思っていた。ところが、今年春先ひょんなことから入会出来ることとなり、
7月に島根の隠岐の島への遠征に同行出来ることになった。この時感じたことがあった。
自分たちは釣りたいばかりで周りはどうでもよかった。一級磯へは我先に飛び乗っていた。
同行した者が釣って、自分が釣れなければ心底喜べなっかた。
釣りはいつも真剣勝負だった。駒田会長は違っていた。釣りは本来釣果にかかわらづ楽しいものだと言った。
道中、磯の上いつも冗談ばかりだ。本命の石鯛がアタれば「俺の竿にアタらんでもええのに。
何で他の人にアタらんのかなあ。」とか言ってニヤニヤしたり。
他の人の竿にアタリがあれば、「おい、それは完全にエサ取りや。
竿尻蹴飛ばして散らせたれ。」と言って笑っている。
帰り道に会長だけが釣った時には「ん、今日はプロ中のプロの潮が走っとった。」と笑い。
他の人の場合「あかん、今日はシロート専用の潮やった。」と笑う。とにかく楽しい。
釣りは楽しいのもだと隠岐の島への遠征で学んだ。こんども何かを学べる筈だ。
10月23日。三重から遙々やってきた。午後1時、平戸口に到着した。
仮眠を取って8時に会場に着いた。そして驚いた。気合いの入った九州の底物師の面々。
そしてその数の多さ。その数ざっと500人強。道中話は聞いていたが実際に目の当たりにすると壮観である。
自分の地元では底物師が500人も一堂に会するなんて事はあり得ない。
そして、「あじか釣りセンター」のブラックカイザーにはたまげた。なんとデカイのか。
これが本当に瀬渡し船か、本当にこれに乗るのか。とにかく磯割りの抽選があり、
我々は11番くじとなりそのブラックカイザーに乗ることとなった。12時半いよいよ出船だ。
それにしてもこのスピードはどうだ。
その内、空へ飛び上がるのではないか、正直そう思った。スピードへの感動もつかの間自分は激しい船酔いに倒れた。
24日午前2時。我々の磯付けの順番が来た。中五島の中の一つの島らしい。大きな島だ。
船酔いでふらつく足を引きずってとにかく渡礁した。
我々はこの島の西へと渡礁したらしい。初めての磯でポイントどころか、島の名前すら解らない。
ジャンケンで釣り座を決めて、それぞれが闇の海へと第一投を始めた。夜中に渡礁するというのでケミ蛍を買っていた。
駒田会長からは夜でも石鯛は釣れると聞かされていたが、
心中は疑っていた。そして実際に夜の海へ投げた時には釣れるわけがないと確信した。しかし、
言われるがままに底取りをして約60m付近から瀬がある様なので此処に仕掛けを落ち着かせた。
釣り初めて1時間後の午前3時すぎ、自分の竿先が少し押さえ込まれた。だが、それ以上入らない。
しばらくして仕掛けを上げてみるとヤドカリの頭だけが潰れていた。
日中なら完全に石鯛の仕業と思うのだが、どうせウツボだろうと決め付けていた。20分後同じようにアタリが出たがウツボと思った。
真剣になれなかった。会長は絶対に石鯛だと言っていた。
午前4時、別の磯へ渡った仲間から連絡が入った。54.8cmの石鯛を釣ったと。あのアタリは石鯛だった。
やがて日が昇り、全員が本格的な底取りを始めた。やはり夜ではケミ蛍が付いていても穂先が見えにくく正確な底取りは出来ない。
なにより目標が見えないので方向が定まらない。自分のポイントは70m以上先では水深約30mで海底はフラットな岩盤の様だった。
そして、60mから徐々に瀬が立ち上がって来る様だ。この瀬は先端付近で沖に突き出るように、伸びている感じがした。
自分が夜に狙っていたポイントは正解であった。隣の一力氏も同じポイントを攻めていた。
一力氏を挟んで前田氏は遠投、近投おりまぜて攻めていた。駒田会長は自分たちとは反対側で超遠投で攻めている。
瀬が多く点在し根掛かりは激しいが、潮次第でかなり有望なポイントだと言っていた。
各人ポイントも決まり一段落した時に静寂を破ったのは一力氏であった。モゾモゾとした後、一気に突っ込んだ竿を満面の笑みで巻き上げる。
56cmの石鯛だった。潮は南から流れていた。午前7時の出来事である。 やがて潮は逆方向に流れ出した。
夜のアタリを思い出してみると、やはり潮は南から流れていた様な気がする。次に潮が変わったとき、その時がチャンスだと思った。
そして一力氏が釣ってから約2時間が過ぎた9時を少しまわった頃、ゆっくりと潮が南から流れ始めた。その時、まるで心で描いた絵のように自分の竿先が揺れた。
小さくおじぎした穂先が2段階に分けて海中めがけて突っ込んでいく。
瞬間、体が反応した。手持ちから竿の胴へと石鯛の躍動感が伝わる。渾身の力を込めたアワセはガツンと体全体に響いた。
力強い石鯛の引きに自分も全力で応えた。周りでみんなが言っている。「ええ型やぞ。」「気い抜くなよ。」今年、1月と5月に68cm、68.5cmと釣っているが手応え的にはこれに匹敵。
いや、それ以上かと思った。やがて水面を割って、いぶしの鎧が上がってきた。目測で65cmは超えていた。もう充分だった。
初めての九州、初めての大きな大会、初めて見る巨大な瀬渡し船、そのスピード、夜釣り、そしてこの石鯛。
感動に浸っている自分に駒田会長から「何しとんのや、まだおるぞ。早よ釣らんか。」「自分はもう充分ですわ。」「あほ。1枚ではマグレて言われるぞ。」そうか、
それならと打ち返しを続け11時同ポイントで60.5cmを釣る事が出来た。11時過ぎの見回りの船で船長からこの島が「ヘボ島」だと聞かされた。
なんとも変な名前であるが自分にとっては宝島である。 その後、再び潮が変わりアタリのないまま納竿の12時半を迎えた。
2時に審査が締め切りなので帰りのブラックカイザーはそれこそ飛ぶ様に走った。今度は怖くて船酔いどころではなかった。
港に帰って審査を受ける。全体で50枚位の石鯛が釣れているようだ。自分の石鯛は66.4cmと分かった。
そして優勝だと。ここからは意識が飛んでしまった。TVの取材を受けた。何を言ったか、なにを聞かれたか全く覚えていない。とても可愛いレポーターだった。
それしか覚えていない。大きな会場で表彰された。梅宮辰夫さんが来ていたそうだ。自分は壇上にあがり優勝の挨拶をしたらしい。
しかし記憶は曖昧だ。きっとその一瞬自分は主役だったと思う。
とにかく。すべてにおいてスケールの大きな九州の石鯛釣りに感動した。まして優勝までしてしまって沢山の思い出が出来た。
また此処に来て、今度は固定観念を捨てて自分を試してみたいと思う。 三重離島会

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